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  • 50代からの品格は、鏡の前の3分間に宿る

    50代からの品格は、鏡の前の3分間に宿る

    Three Minutes at the Mirror: Do We Really See Ourselves?

    何十年も、毎朝鏡を見ている。
    けれど、本当に「見て」いるだろうか。

    視線はただ通り過ぎていた…

    いつもの通り歯を磨き、お化粧しながら、髪を整えながら、私たちは毎朝、鏡の前に立つ。
    けれど、そのとき視線はたいてい顔の上を通り過ぎているだけだ。過去の出来事(たいていイヤなことだったりする)とか今日これからのシミュレーションとか、週末することなどが頭をよぎっている。

    それでも、自動的に、肌の色ムラは隠せたか、寝ぐせは直っているか確認はしている。でもそれは「点検」であって、「対話」ではない。

    鏡の中の自分と、最後にきちんと目を合わせたのは、いつだっただろう。

    見ることと、見つめること

    「見る」と「見つめる」は、違う。見るとは、情報を受け取ること。見つめるとは、相手の存在に、心を向けること。

    鏡を見つめると、いろいろなことに気づく。昨日より少し疲れた目元。照明の当たり方で変わる肌の色と影。表情筋はゆるんでいるのか、こわばっているのか。写っているワタシは、幸せそう?周りの人たちを幸せにできる?

    突然気になったシミ、実はしばらく前からあったものでは?朝はシワも少し深く見えるけど、今日はなぜか特にひどいな…なんて変化を「見て」いるはずなのだけれど。

    物事は突然起こらない。そう知っていたはずなのに、なんとなく生きていると、変化を認識するときはすでにかなり進んでいるのが常。

    お顔だけでなく、例えば病気など、事によっては、応急処置が必要とすると余分な消耗、時間とコストもかかる。それなのに、頭の中ではのんきに、友人と会うときに、話しのネタになるかなと、思ったりする。

    自分の身体は毎日観察しないといけないのだ。観察の多さは美しさと比例する。

    それに気づいてから(いや本当は知っていた。そして本当のところは小さな危機感のお陰と言える。)、朝鏡の前で身支度する間の3分間を、一日の始まりの儀式に変えた。(時間の感覚としては、初めてのルーティンなどはとりあえず3分としてみると取り入れやすいと感じたので、ここは人によって違うかもしれない。) 

    装う前に、まず自分を見つめる時間を確保する。それは、絵を描く前に、白いキャンバスの様子を確かめることに似ている。

    すこし大げさに表現しているかもしれない。けれど、特別な道具も、決まった作法もいらない。同じ動作に、意味を与える、たったそれだけ。

    鏡の中の、もうひとり

    鏡は、他人の目を借りる道具でもある。
    外に出れば、私たちは他人の目に映る。その最初の目撃者として、鏡の中の自分を置いてみる。この人は、今日、誰に会うのだろう。どんな一日を過ごすのだろう。

    そう思って見つめると、不思議と、直すべき場所と、そのままでいい場所が、はっきりしてくる。

    最後に、鏡の中の自分へ、心の中で一言かける。「いってきます」でも、「今日もよろしく」でもいい。自分にきちんと挨拶できる人は、他人にも、丁寧に挨拶できるようになる気がする。

    副産物としてはジワーっと湧き上がる幸福感がついてくる。

    3分間の作法

    特別なことは、何もない。この世に私しか存在していないくらいの3分にする。
    全身を映して、数秒だけ、目を合わせる。そして、私を観察する。仕上げに、ピアスなどアクセサリーを身に付ける。個人的にピアスをハイライトしているのは、ピアスが顔の一部だからだ。

    3分間は、カウントすると長いかもしれないけれど、観察するとあっという間に過ぎている。

    自分を見つめた朝と、見なかった朝では、一日の背筋が、少し違う。
    品格とは、自分をきちんと扱うという、小さな習慣の積み重ねなのだと、改めて思う。

    鏡の前の3分間が、その日の品格を決める。

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  • 指先の美学 ― 耳元に触れる、その3秒

    指先の美学 ― 耳元に触れる、その3秒

    The Art of the Fingertip : Putting on an earring

    装う、という動詞が好きだ。その中でもいくつかハイライトしたい具体的な動詞があって、その一つが、ピアスを付けるということ。その仕草が始まる合図は、髪を耳にかけること。小さな金属を耳元に留める三秒の間に、私たちは少しだけ、別の自分になっていく瞬間が楽しい。

    髪を耳にかける

    鏡の前に立ち、まず、髪を耳にかける。
    たったそれだけの動作で、空気が変わる。顔の輪郭があらわになり、「これから、何かを身につける」という合図が、静かに部屋に落ちる。

    装うという行為は、服を選ぶよりも前に、もう始まっているのだと思う。

    三秒の手仕事

    ピアスを手に取る。指先でつまむと、驚くほど軽い。
    耳たぶにそっと触れ、穴の位置を探る。ポストを通し、耳の後ろへ回した指で、キャッチを確定して留める。

    鏡が映すのは、耳の前側だけ。留める場所は、見えない耳の後ろにある。だから私たちは、目を閉じるようにして、指先の感覚に身をゆだねる。カチリ、などと小さな手応えがあったとき、ようやく息を吐く。

    時間にすれば、たったの三秒。けれど、この三秒は急げない。慌てれば、金具は指からするっと逃げていく。ゆっくりと丁寧に向き合う人にだけ、小さな光は、静かに留まってくれる気がする。

    いつもの朝

    その日、わたしは友人との食事を控えていた。
    新しい服を買ったわけではない。特別ななにかを用意したわけでもない。ただ、引き出しの奥にしまっていた小さなダイヤのピアスを、そっと取り出した。

    鏡の前で、髪を耳にかける。耳たぶに触れ、金具を留める。
    顔を上げると、耳元に、ちいさな光があった。

    背筋が、ほんの少しだけ伸びていた。
    口角が、ほんの少し上がっていた。

    昨日と同じような服の傾向で、同じ顔。それなのに、鏡の中の自分は、昨日より少しだけ、凛としていた(これも、気がする)。でも、このような一連の動作がたまらなく、生きている気さえするのだ。

    見えない場所を、手探りで

    装う仕草は、ピアスやイヤリング(最近はイヤーカフ?)だけではない。
    首の後ろでネックレスの留め具を探す指。腕時計のバックルを通す手首の角度。指先から手袋をはめていく、ゆっくりとした動き。シャツの袖口にカフリンクスを通す仕草も、そのひとつだろう。

    どれも、共通していることがある。
    見えない場所を、手探りで、静かに整えていくこと。

    エレガントさは、仕草に宿る

    誰かに見せるためなら、仕草は省略できる。
    それでも私たちは、鏡の前で、ゆっくりと指を動かす。それは、自分自身と向き合うための特別な時間だからだ。

    エレガンスとは、完成した姿だけを指す言葉ではないのかもしれないと、ふと思う。
    装うと決めた時間の、その丁寧さの中にこそ、宿るもの。

    服が私たちを変えるのではない。
    丁寧に装うと決めた三秒が、私たちを、少しずつ変えていく。  それが、Transformationなのだと思う。

    今日から・・・

    次にピアスを付けるとき、ほんの少しだけ、ゆっくりと。
    耳元に触れる三秒を、味わってみてほしい。

    小さな宝飾品には、ひとつずつ、大きな物語がある。その扉は、これからこの連載の先で、少しずつ開いていきたいと思う。

    エレガンスは、耳元に触れる、その三秒に宿る。

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